現代ゲーム博覧館
4.るいゲー
この連載〔現代ゲーム博覧館〕の目的のひとつには、「個人の“我”が色濃く出たゲームを取り上げる」というものがある。
だが、“我”の出たゲームとそうでないゲームは、どうやって分けることが出来るのだろうか。
それについて、私がこの連載で採用している評価基準のひとつは、「そのひとだけの“世界”が作中で展開されているかどうか」という点だ。
「そのひとだけの“世界”」を構築した作家の良い例を、アートの歴史から示そう。その名も、
彼は『非現実の王国で』という小説を、60年以上もの歳月に渡って執筆していた。
美しき少女たちが可憐かつ果敢に戦闘を繰り広げるという時代を先取りしたファンタジー冒険譚で、なんとその文量は15145ページにも渡る。しかも挿絵付きだ。
そして驚くべきことに、ダーガー氏はその物語を誰に見せることもなく、ただ自分のためだけに書いていた。
『非現実の王国で』の存在は広く知れ渡ったのは、彼の死後のことだ。ちなみに没後からすでに52年が経過しているが、長すぎたりするせいでまだ出版しきれていないらしい。
そんな「そのひとだけの“世界”」を見せてくれる作品の最たるゲームをご紹介しよう。
タイトルは
ふりーむ、フリーゲーム夢現においての公開年は2017年だが、exeの更新日時と他作品の公開年から判断して、おそらく2012年ごろに制作された作品であると思われる。
『田丸でGO!』より前の作品で、氏のシリーズとしては第2作にあたるとのこと。
詳しくは後述するがこの『るいゲー』、現在まで連綿と続くメルフィスワールド氏の独自すぎる“世界”構築……その礎を築いた、ひょっとしたら『田丸でGO!』以上の怪作である。
さぁ、さっそくあのメルフィスワールドワールドへと飛び込んでみようではないか。
ゲームを起動して、いざ、非現実の王国へ!
……
前置きもなしにいきなりタイトルのスクリーンショットを掲載する無礼、どうかお許し願いたい。
この見た者すべてを絶句させるタイトル画面についてあれこれコメントすることは、あらゆる視覚芸術を言語で批評するのと同様の野暮さがあるだろう。
にしたってとりあえず触れざるを得ないのが、
スタート
テヌート
スマート
スカート
という
並べる御託を思いつく前に、五択を突きつけられてしまっては立つ瀬がない。
ノベルゲームというジャンルは、モノにもよるが“選択肢”がそのゲーム性を大きく支えている。
選択肢によって行動や行き先を決定できることで、小説とは違ったゲームならではの没入感がプレイヤーに与えられるのだ。
そして、“ゲーム”としての部分はなるべく始まってすぐにプレイできるのが望ましいと、かの桜井政博(文部科学大臣賞おめでとうございます)も言っていた。
その点この『るいゲー』ときたら
まぁ、選ぶべき正解はすでに見えているような気もするが、やはりゲーマーなら選択肢を上から順にチェックしたくなってしまうのが人情である。
見え見えの不正解にあえて引っかかって演出をチェックする……それが、ノベルゲームの正しい鑑賞作法というものだ。
というわけで、
ゆっくりとフェードインしてきた「はずれ」は、同じ速度でゆっくりとフェードアウトし、先ほどのタイトル画面へ回帰。
戻ってきたタイトル画面は、先ほどと何も変わっていなかった。ただし、少女の微笑みが心なしか嘲りの微笑のように感じられたことを除いて。
やはり世の中、真面目にやらないと損をするのだ。「正直者はバカを見る」なんて言葉は大間違い。
まずは真摯に“正解”を考えて、作品の中にしっかり没入する……それが、ノベルゲームの正しい鑑賞作法というものだ。
というわけで、
たしかに、「正直者はバカを見る」なんて言葉は大間違いだった。
これからは即刻使用を中止して、
そして、続けて
まぁ、他と比較しても“ート”しか一致していないので、これは妥当な
そしてあまり期待をせずに
日本語だと「シュッとしてる」みたいなニュアンスがつきまとう語“スマート”だが、もともとは「利口」「賢い」といった意の言葉である。
“理性”に反撥しがちな現代美術のフィールドにおいて、
しかしもしそうであれば、本編最初の画面を脈絡なく
ところで、ここで気になってくるのがタイトル画面にあるもう一つの選択肢、
まぁ結果は見えているような気もするが、やはり好奇心こそスマートな人物になるための必要十分条件だ。この目でスカートのその先を見通さなければ、話は前に進まない。
タイトル画面に戻るため、Escキーを押してみる。するとメニュー画面が開かれた。
2012年基準でも良くはない画質
ボヤけていていまいちハッキリしないものの、おそらくは
『るいゲー』が「類を見ないゲーム」の略であるかもしれないことが分かる。
その後「ゲーム終了」から無事(前頭葉は無事ではない)タイトル画面に戻ることができた。
ちなみに元々の画面サイズはやたら小さく、なんと320×240
さぁ、いよいよ最後の選択肢だ。
正直オチの予想はついているが、ここまで予想を裏切られ続けているわけだから、もしかしたら別ルートへの分岐等があってもおかしくはない。
2分の期待と8分の諦観を胸に抱きながらマウスをクリックすると
だそうである。
さて、タイトル画面まわりだけですでに20パラグラフ以上使ってしまってしまっており、そろそろ本編に進まなければコトである。
「スマート」を選択して、
物語は、主人公が朝食として
きちんとしすぎである。
どうやら朝食ガッツリ系女子の彼女はガーデニングを嗜むようで、これから花のタネを買いに行くつもりらしい。
と音を立て、誰かにぶつかってしまう。
……ところでこの『るいゲー』は、「Livemaker」というノベルゲーム制作ツールで作られている。
そのLiveMaker製ノベルでひときわ多いジャンルとは何か?そう、ラブコメだ。
その多くは学園モノであり、フリーゲームを探していて見ない日は無いのがきまぐれアフターの校門である。
もしかしたら『るいゲー』もその例に漏れず、ここから王道ラブコメになるのかもしれない。
結構乙女チックなノリのようだし、この激突から運命の出会いが始まっちゃったりするのだろうか?
そう思いながらテキストを送ると
!??!!?!?
その彼は明らかに胴体がなく、気さくに白目をひん剥きながらニヤニヤと怒声を上げている。あり得ない角度のリーゼントを見せびらかして。
……しかし、私はこの顔をすでに目にしたことがある。
そして、私の過去の記事を呼んでくださっている方ならば、同様に見覚えがあるはずだ。
そう、
運命の出会い
『田丸でGO!』の1面ボス、「ピカピカの1回生 通りすがりの学生」と瓜二つなのである。
その少ない登場シーンの中でも、怒る、笑う、笑われる、泣く、爆発するといった豊かな姿を精いっぱい見せた彼は、『田丸でGO!』の象徴的な存在となり、「現代ゲーム」のキャラクターがどのような魅力を見せるべきを方向付けた偉大なる存在である。
もっとも時系列的には今作の方が先だ。私が確認できた限り、このフェイスの初出はどうやらこの『るいゲー』らしい。
つまり私たちは、
もしもタイムマシンが開発されて、0歳児の大谷翔平をナマで目に焼き付けることができたなら、野球ファンはどんなに興奮するだろうか?これはそういうことである。
そして、“ピカピカ”の大学生がオラついた口調で因縁を付けてきた謎も、ここで解決された。
「不良」と1回生が同一人物だとすれば、大学に合格したことで不良を止め、髪型も落ち着かせたのだろう。
しかし荒っぽい性格までは、完全には治らなかったということだ。
『田丸でGO!』の時点でわりかし特徴的だった髪型は、どうやらナーフ後のものだったようだ。
このころの彼は、
ネタバレすると、この主人公の名前が「泪」なので『るいゲー』
追い詰められた主人公。このピンチを切り抜けるため、3つの選択肢から不良を撃退するための方法を選ばなくてはならない。
さて、ここから『るいゲー』の物語は分岐する。そしてその“分岐”を皆さんにも味わっていただくため、以下に3つの選択肢を再現した。
この3つはそれぞれ別のページにリンクされている。
クリックまたはタップして、お好きな“世界”へと進んでいただきたい!