Jという男がいた。中学生男子で、私げをの運営するDiscordサーバー『顎集会』ではムードメーカー的な存在だ。
さる水曜の夜、J氏が『顎集会』にてこのような募集をかけた。
「18時ごろに歌枠的なのをするかも」
“歌枠”……つまり、ボイスチャット上でカラオケを歌うということだろう。
私のサーバーでは普段ミュートにしている人も多いなかで、カラオケでの熱唱を聴けるなんて。
私がそのメッセージを見たのは、18時をすぎたころ。すでに“歌枠”は始まっているようだ。
予定もないし、良い機会だと思って、ボイスチャットに入ってみることにした。
聴く側なので、当然私はミュートだ。入った途端に、歌が聴こえてくる。
届きまくっていますが。
とにかく「これがカラオケの迫力か」と思わせる声量。
言われなくても突然歌い出すような人種も多いサーバー『顎集会』にあっても、さすがにマイクで増幅された歌声は、聴いていて一味違うものである。
『千本桜』を歌い終えたJ氏。そして、「何かリクエストはないか」と募集がかけられる。
ふむ、何にしようか。考えていると、彼の様子が変化する。突然取り乱したようになって
「ちょっとまってちょっとまって」
急にラッスンゴレライ?
かと思ったら、どうやら何かトラブルが発生したらしい。
彼の話を詳しく聞いてみることに。すると
「自転車、撤去された……」
自転車???
どういうことだろうか。
彼は自転車で、カラオケに来たのだろうか。そして、その自転車が撤去されてしまったのだろうか。
そのままボイスチャットを聞いてみると、どうやらその通りらしかった。
「駐輪しちゃいけない場所に置いといたのがまずかったらしい……」
「撤去されちゃうと、回収に3500円かかる……」
「どうしよう、俺帰りにラーメン食べようと思ってたのに……」
ボイスチャット越しでも、J氏の悲しみが伝わってくる。
鼻を啜る音まで聞こえてきた。ラーメンを啜る音は聞くことができないと言うのに。
カラオケのマイクが音量を増幅させるなら、Discordのマイクは悲痛さを増幅させるのだろうか。
さすがに、サーバー民全員で慰めざるを得なかった。
一部「自転車にのって」という題名の曲をリクエストしようとする不届き者もいたが、皆が彼のことを心配していた。
その時、このサーバーのモラルは高く保たれているな、と、サーバー主としても安心する気持ちになったのである。
さて、J氏はそんなトラブルもありつつ、“歌枠”を再開することにした。
“歌枠”はその後、当初の予定通り、チャット欄でリクエストを募ることになった。
そして、私のリクエストが、最初に歌われることに。
「自転車にのって」から変更して、私が最終的に選んだ楽曲は『チルノのパーフェクトさんすう教室』だ。
当時サーバー内でとある事情から『チルミルチルノ』が流行しており、それをリクエストしようと考えていたのだが、“チルミル”がカラオケに収録されていなかったので、その代わりというわけだ。
J氏は、マイクを握り直した。
途中になぜか「ドカッ」「バキッ」とRPGツクールの打撃音のような雑音が入るなどトラブルもあったが、無事“歌枠”は再開することができた。
「それでは、歌います。チルノのパーフェクトさんすう教室」
ついに、リクエスト歌唱の時間だ。ここからがDiscordならではの、本当の“歌枠”なのだ。
彼の歌がよく聞こえるように、Discordの音量を上げる。
始まるぞ……いよいよ……
彼の歌唱力は、増幅され、我々の心を強く打つものになっていた。
その“増幅”は、「自転車の撤去」という悲劇によってなされたものだろうか。
それとも、単にカラオケのマイクのおかげだろうか。
これが、私の目から見た“歌枠”である。
本人の了承を得て、J氏自身の体験談(“ジェッタリアン”と名乗ってはいるが)『【事件】歌枠をしていた時の悲劇』と併せる形で執筆させていただいた。
よろしければ、本人の視点から描かれた“歌枠”もぜひご一読いただきたい。
後で本人の口から聞いた話だが、終わったあと彼はラーメンを食べることができたらしい。
というのも、カラオケの帰り道では食べられなかったのだが、その後親御さんが「チャルメラ」を用意してくれたとのこと。
物事は上手くいく。そう、元気があれば、なんでも……
そういったところだろうか。
執筆:げを
d